nHappyもう辛いダイエットの時代は終わり!摂食障害は治せる✨

辛かった本当に辛かった摂食障害が治った。 摂食障害が治ってゆるーく生きられるお手伝いをします✨😊 

他人から見て私は善しとされるのか?ではなくて自分から見て私は幸せか?

旦那さんとは付き合って3ヶ月で妊娠して結婚しました。
旦那さんは付き合っていた時から今も変わらずとっても優しくて思いやりがあり、摂食障害の私を受け入れてくれました。
この時はまだ摂食障害を治している途中だったのと、感情に蓋する癖をやめる練習の様な期間だったので、今まで我慢していた感情が溢れ出し、自分の感情の処理の仕方が分からず、私はとても情緒不安定でした。
そんな時に妊娠して、ホルモンバランスの関係もあって更に情緒不安定になり、沢山沢山旦那さんに当たってしまっていました。
それでも旦那さんはいつも優しく私を受け入れてくれました。

この時私は派遣先の工場で日勤と夜勤の二交代で働いていたのですが、つわりが始まり、夜勤は殆ど出勤出来ない状態が続いて、辞めてしまいました。

そんな中一人暮らしをしていたアパートを引き払い、旦那さんと暮らし始め、次々と変わる生活、そして食べつわりだったのでどんどん太っていく体型の恐怖、これからの出産と初めての育児の不安とで気持ちがついて行きませんでした。

高校生のころからバイトを掛け持ちしたりなどずっと働いていて、自分で働いて稼ぐ事で自分自身がちゃんとしているという肯定を出来ていたこともあったので、仕事を辞めて、家にずっといる生活がダメ人間になったような気がして落ち込んでいたのを覚えています。

そして仕事を辞めて旦那さんの帰りを待つ生活になりました。
旦那さんの仕事は長距離トラックの運転手で殆ど家にいなかったのでとても寂しく過食で寂しさを埋めるようになった時もありました。
妊娠前からタバコを一日最低でも一箱吸っていて妊娠が分かってからも暫くはタバコを辞めることが出来ませんでした。
お腹の赤ちゃんよりも、タバコを止める事で口が寂しくなり食欲が増してこれ以上太ることは絶対に嫌だと強く思っていました。
しかし、切迫流産の診断が出て、この時初めてタバコをやめる事が出来ました。
恥ずかしながらお腹の赤ちゃんを守れるのは自分しかいないとこの時にやっと気付く事が出来ました。
まだまだ摂食障害があった時期だったので、変わっていく体型が受け入れられず、友達に会ったら太ったなと思われるのも怖くて、友達と気楽に会う事もできませんでした。
ただ、1人の親友とは定期的に会っていました。

普段の話し相手は旦那さん、毎週会いにきてくれる母だけでした。

旦那さんの性格はとても温厚で喜怒哀楽があまり激しくなく無口な方で、私の性格と正反対でした。
旦那さんと出会う前まで付き合ってきた人達はテンションが高めで話すのが好きで聞き上手な人達が多くて、私の育った環境にいた家族もお喋り好きで、色々大変な事があった以外は明るく笑いが溢れていた家庭だったように思います。
そんな感じだったので、旦那さんが無口であまり会話がない事がとても寂しく感じられ、私が話しかけても話しが弾まず、リアクションが薄くて、なんだかスナックで働いていた時のお客さんと会話してるような、段々と接客しているような気分になっていました。笑

旦那さんは無口だけどとても愛情深く私を受け入れてくれて、自分の芯をしっかり持っている人です。真面目に働いてお金もしっかり稼いでくれて、私を色んな場所に連れて行ってくれます。そして家事も積極的にやってくれます。それなのに、私はなんでこんなに満たされないんだろう?
旦那さんがもっと私と会話してくれれば、
旦那さんがもっと明るくて私を笑わせてくれれば、、私が体型の変化を受け入れられて友達に沢山会いにいければ、、母がもっと私に会いにきてくれれば、、などと考えるようになっていて、ある日はっとしたんです。

あれ?私まだまだ他人軸で生きてるんだな。と。
誰かに幸せにして欲しい。誰かにこんな言葉をかけてほしい。誰かに私の気持ちを満たして欲しい。
そんな事ばかり考えていて、私は一生自分以外の誰かに幸せにしてほしい、心を満たして欲しいと考える人生なのかな?と、誰かが言った些細な言葉や行動で私自身の価値を決め続けるのかな?私が私自身を幸せにし、満たしてあげるって人生で1番大事なんじゃないかな…と気付き始めました。
旦那さんの目に見える態度や表情、言葉、行動で私自身の気持ちがグラグラと揺れていたのです。

今までの私は、摂食障害になる前もなってからも誰かに褒められたり、誰かに求められたりする事だけで自分の事を肯定することが出来ていました。
自分以外の誰かが幸せそうにしている状況を私自身もそうなれば幸せになれるとも考えていました。
友達の数、ブランド物の服やバックを沢山持っている、痩せて綺麗な体型である、綺麗な顔である、結婚している、など外側だけを見て自分の価値という物を決めていたように思います。(私は決して綺麗な顔でも体型でもなかったのですが、それらを手に入れれば幸せになると価値が上がると思い込んでいた時期がありました。)
スナックで働いていた時は、お客さんに沢山の物を買ってもらっていました。
服や靴やバック、アクセサリー、テレビや車など。
沢山自分に手に入ったら幸せになれると思っていました。
そして、スナックで働いている時もよくお客さん達に、あんたは幸せそうだね。いつも楽しそうだね。など言われていましたが、少しも幸せに思ったことなどありませんでした。
どんなに欲しかった服や靴やバックを手に入れても、どんなに友達が増えても、好きと言ってくれる男性が現れたとしても、心が満たされる事はなかったように思います。
お客さんに服や靴、車など色んな物を買って貰った時も感謝の気持ちなんかありませんでした。
「こうやってプライベートの時間使ってやってるんだから、買ってもらって当然だろ」と心のどこかで思っていました。
でも感謝の気持ちを持てない自分でいるのが嫌で「醜い考えを持ってはいけない。」「傲慢な自分ではいけない。」などの考えもあり、そう思う自分を受け入れられずに無理やり感謝するべき!と私自身に指示をしていました。
感謝は無理矢理するものではないのに。

今考えればそれで満たされないのは当然だったなと思います。
なぜなら私は「他人から見て私は幸せそうか」ばかり考えて行動していたからです。
「私から見て私自身は幸せか?」ではなかったのです。

幸せは自分のものさしで測るものであって、他の人が感じる幸せと自分が感じる幸せは違いますよね。


ずっと他人軸で生きていた私は無口で余計な事は言わなくて人を必要以上に褒める事のない旦那さんに、私はどんどん自信を失っていました。
だけど前向きで明るい良い妻でいたかった私はそんな事を考えて落ち込む自分だと思いたくもなく、そして面倒臭い女だと思われたくもなく、また蓋をすることを選んでいました。

でも、妊娠して仕事をやめて、殆ど家にいる事が多くなり、自分自身の気持ちやこれからどうするべきなのかより自分はどうありたいのかを考える良いきっかけだったのだと思います。

すぐ人に左右される私にとって、芯がしっかりして人に左右されずにブレない旦那さんに出会えた事は私が私を好きになる事ができるとても良い出会いだったのです。


続きます。