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辛かった本当に辛かった摂食障害が治った。 摂食障害が治ってゆるーく生きられるお手伝いをします✨😊 

一児の母になった私が今自分の親に対して思うこと。①

間違えて前の記事を消してしまったのでまた載せときます😭





私の母は一年前に肺腺癌でこの世を去りました。


今日は私の大っ嫌いで大好きだった(どっちやねん笑)お母さんの話をしようと思います。


私のお母さんは社交的で誰とでも仲良くなれるとってもとっても明るい人でした。

自分の気持ちに正直な人で、すぐ笑うしすぐ泣くしすぐ怒る裏表のない人でした。

裏表がない分小さな子どもの頃の私にデリカシーのないことを普通に言っちゃう親でした笑


お父さんは私が小さい時に精神病になって家で急に暴れ出したりする事が多くなり、団地に住んでいたので近所の人が通報して警察が来る事もありました。

そしてお父さんは仕事をしなくなり、仕事を見つけてはすぐ辞めてを繰り返し、家で寝てることが多くなりました。

私には3歳ずつ離れてるお兄ちゃんが2人いて、お母さんは3人の子を育てる為に朝は新聞配達、日中はパートをしていました。

電気やガスが止まることなんて沢山ありました。

それでもお母さんは明るくて元気でよく泣いてよく怒ってよく笑って、私たち子どものために頑張っていました。


そして私が小学校にあがる頃、お父さんの知り合いが経営してるお弁当屋さんでお母さんが働く事になりました。


それから日に日にお母さんの様子がおかしくなっていきました。

弁当屋さんの店長のパワハラ、給料未払いがどんどん増えて、それでもお父さんの顔があるから中々辞めれず、8年くらいそこで働いていたと思います。

お母さんはイライラすることが多くなり、私に当たるようになりました。

虐待まで行くことはなかったけど、私に対する嫌味やバカにした発言、無視をしてくるなど私が小学校から思春期に入ってる中学2年生まで続きました。

それでも仲のいいときはとても仲良くいれて、会話も沢山あって友達といるよりお母さんといる時の方が楽しかったのを覚えています。

でもお母さんの私に対する八つ当たりはどんどん酷くなりました。

私はアトピーが酷かったので毎日薬やアトピーに効くというサプリメントを飲んでいたのですが、痒くて寝れない日があってもお母さんの機嫌が悪かったりお母さんと喧嘩した日などはそれらを隠されて使えないようにされたり、すぐ家から出てけなど言うようになったりしました。

小学校5年生くらいになると私もお洒落やメイクに興味を持ち始め、その当時流行っていた服をおばあちゃんなどに貰ったお小遣いで買って着ていると、「自分のこと可愛いと思って勘違いしてんの?あんたの太い脚でそんなミニスカート合わないしアトピーで肌汚いし笑 バカじゃないの?」など言われるようになりました。

思春期の私にはムカつく気持ちと平気でそういう言葉を言えちゃうお母さんは私を愛していないんだという寂しい気持ちと不信感でごちゃごちゃになりました。


お母さんは私が小さいときから宗教にも入っていて、私たち兄弟は集会や奉仕活動というものに毎週連れられていました。

その宗教は崇拝している神様以外にお祝い事などしてはいけないという教えがありました。

だから私達兄弟は誕生日やクリスマス、お正月など世の中の当たり前にあるお祝い事はできませんでした。

学校の校歌も学校で習う何かを祝福してる歌も、歌ってはいけませんでした。

学校の行事でできないことも結構あって、例えば節分の日で豆まきをするとき、先生に「私は宗教に入っていて節分ができません」と伝え、みんなが豆まきをしている間、私は椅子に座って見ていました。

(今思えば、みんなに混ざってやった振りをして誤魔化せることもできたかなと思うのですが、小学生の私はみんなの前で自分は宗教に入っていると伝える事が信仰心として教えられていてそれを守らなければ、お母さんに頑張ったことを伝えて褒められたいという思いもあり臨機応変にはできませんでした。だって子どもですもの。笑)

お母さんが入っていた宗教では、崇拝している神様だけを信仰し、自己犠牲を払うことがとてもいいことだと教えられていました。

ダメとされてるものが沢山あり、自分の気持ちを優先させることはできない教えを何年もすりこまれてきました。

将来なりたい夢を持つ事も、

自分を大切にする事も、

私は小学生の時から諦めていたように思います。


だから自分に嘘をついてでもお母さんが喜ぶような言葉を沢山かけていました。

単純にお母さんが怒っていたり、悲しい顔をしているのが見ていて辛かったからです。

自分の気持ちを言っても、

自分のこうしてみたいという行動をしても、

お母さんの意思や、宗教上の教えに反することだったら受け入れて貰えないと思っていました。そしてお母さんが喜ぶ言葉や行動をしてお母さんに認められ、愛されたいと強く思っていました。


後になって思うのは、私は愛されていました。ただ、お母さんの不器用さや、休む暇なく働きつづけてるのに宗教の集まる場所にもいき(「受けるより与えることが幸福」と教えられていて、宗教に入っている人達はとても優しい人達が多かったように思うので、お母さんはこの場所が心の拠り所になっていたのだと思います。)お父さんが急に暴れだして精神状態おかしくなったり、急にお母さんの財布やケータイを勝手に持っていき3ヶ月ほど失踪することなどもあり、お母さんは1番頼りにしたい人も頼れなく、自分一人で3人の子を育てなきゃいけない、頑張らなきゃいけないといっぱいいっぱいだったのだと思います。

私の物分かりのいい性格もあいまって、お母さんの1番側にいる私がただ、当たりやすくなっていたのだなと思います。きっとそんな自分をお母さんは責めて、でもどうしていいか分からない辛さもあったのだなと、母になった今思うことがあります。


そんな家庭で育った私たち兄弟は、とくにお兄ちゃん2人は思春期を期に荒れまくりました。

今まで我慢していたのを発散するかのように外でケンカして補導されることなど沢山ありました。

お兄ちゃん達はそれから宗教に関わることを一切拒否して、自分の道を行くようになりました。

荒れてはいたけど心優しいお兄ちゃん2人はお母さんを助ける為に高校に行かずはたらいて家にお金を入れていました。


そして私が中学二年生の時、お母さんは倒れて救急車で運ばれました。


胃潰瘍が5個もできていました。

完全にストレスからくるものでした。


ここまで書いていて思ったことは

人って寂しかった事や悲しかったこと、気持ちに蓋をしていたことの方が強く思い出として残るんだなと感じました。

楽しかったことや嬉しかったことも沢山あるし、お母さんが私を愛してることを実感したことも今思えば沢山あります。ただ、気持ちに蓋をしていた日々、自分を大切にできなかった経験は強く頭に残り、自分に厳しくしなくてはいけない思い込みは後に摂食障害という形で私が私にSOSとして教えてくれました。



お母さんが入院してからのこと、家族のこと、私が一児の母になってから思うお母さんの気持ちをまた次の記事で書いて行こうと思います。


文章力足りなくて読みずらいかもしれませんがお付き合いお願いします💦